生まれから高校生まで
1988年生まれ。男三兄弟の三男として高校卒業まで宮崎で過ごしました。
自分の根本を作っているのは小学校2年生から高校まで続けたバドミントンだと思っています。1年365日ずっと練習をしていました。
小学生から高校生まではバドミントンしかしていないのでそれ以外の思い出があまりないんですよね笑 テレビを観てないからその話題もついていけないし、遊びたいという欲求もなかったのでひたすら練習していました。
それでも全国大会では1回戦敗退という挫折を味わって絶望していた時期もありましたね。一時期はスポーツで大学に進むことも考えましたが、一度受けて落ちてしまったのでその道に進むことは諦めました。
大学生時代
高校を卒業して指定校推薦で芝浦工業大学工学部の機械工学科に進学しました。高校の夏まで部活しかしてなかった自分は大学の授業についていくのが精一杯でした。
それも要領を覚えると最初の一年くらいでなんとかこなせるようになってあとは友達と麻雀したりバイトしたり飲んだりと普通の大学生活を送っていました。
それでも心配性な自分は就活の時期に差し掛かるくらいに大学院に進学することを決意しました。その理由は2つあります。
- 就職してやりたいことがなかった
- 自分の実力を試したかった
頑固な性格と根っからの負けず嫌いな性格のため人と違う道を進むことを選びました。選んだ大学院は東京工業大学にしました。
研究室訪問した時に一番面白そうな研究室を見つけたのが決め手でしたね。以下のリンクに大学院選びについて書いています。
大学院生時代
研究の日々
ひたすら研究の毎日でした。本当に家と研究室の往復しかしておらず全力投球でしたね。なので海外はノルウェーで開催されている国際学会や数ヶ月に一回は日本各地で行われている学会に行ってました。
そんな研究生活をしている中で自分はメーカーなどの大きい組織で働くよりも小さい人数で何かを作る方が楽しいんじゃないかと思うようになりました。
就活を始めるとこの思いはより強くなり、メーカーなどの研究職ではなくIT企業に進むことを決めました。
その時点で全くプログラミングの経験はありませんでしたがやってみたい気持ちが強くなってしまったのです。
その一番の要因になったのがサイバーエージェントの藤田さんが書いた「渋谷で働く社長の告白」という本です。自分と同じ年くらいの時にこんなにすごいことをして頑張った人がいるのかと。しかも本人は全然プログラマでもないのにIT企業として会社をでかくしていることに驚きました。
なら自分でもできるだろうとサーバーエージェントの試験を受けてなんとか内定をもらうことができました。今思うと全くの未経験で採用されたのは何かの偶然だとしか思えませんが笑
社会人
社会人になってからプログラミングの勉強をはじめたので大変でしたが、面白かったので何時間もパソコンいじってましたし、土日も関係なくずっとプログラミングしてました。
そのおかげもあって、仕事自体は入社してから1年弱くらいでなんとか慣れて一通りのことができるようになりました。プログラミングのコツを掴んでからはより一層面白い仕事が増えたのでもっと働くようになったし、経験値を積むスピードが増えたので、社会人1、2年目は全力で働くことをおすすめします。
プログラミングを最速で学ぶ方法をまとめているので下の記事も読んでみて下さい。
サイバーエージェントでは子会社の立ち上げから新規ゲームの開発とチャレンジングなことをたくさん経験できた良い職場でした。サイバーエージェントでの経験をまとめた記事もあるので是非ご一読を!
髙妻智一
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